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大阪地方裁判所 昭和59年(行ウ)27号 判決 1988年7月08日

原告

片岡奉子

右訴訟代理人弁護士

高橋典明

被告

地方公務員災害補償基金

大阪府支部長

岸昌

右訴訟代理人弁護士

今泉純一

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は、原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が原告に対し、地方公務員災害補償法に基づき昭和五二年一一月二一日付けでなした公務外認定処分は、これを取り消す。

2  訴訟費用は、被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、昭和三九年四月一日付けで大阪府に事務吏員として採用され、

(一) 同日から昭和四一年六月二四日まで大阪府布施府税事務所(以下「布施府税」という)において、総務課審査係(後に納税課管理係)に属し、主として自動車税に係る納税証明書発行、会計機操作を伴う同税の収納消し込み等の業務に従事し、

(二) 昭和四一年六月二五日から昭和四四年五月二七日まで大阪府寝屋川自動車税事務所(以下「寝屋川事務所」という)(昭和四二年四月から大阪府自動車税事務所(以下「大阪自動車税事務所」という)となる)において、自動車税徴収事務に係る電算処理のためのコード処理、新規登録自動車税の徴収、廃車に伴う還付、収入計算書の作成等の業務に従事し、

(三) 昭和四四年五月二八日付けで大阪府南府税事務所(以下「南府税」という)勤務となり、同日から同年一〇月六日までは総務課調査広報係に配属され、同月七日から昭和四五年五月三一日までは納税課管理係に配属され、同年六月一日から昭和五二年六月二四日までは課税第一課法人事業税係(昭和四九年四月一日に課税第一課事業税係に組織変更された)に配属された。

なお原告は、昭和五二年六月二五日付けで大阪府生野府税事務所勤務となり、昭和五七年四月に大阪府阿倍野府税事務所勤務となって現在に至っている。

2  原告の寝屋川事務所以降南府税までの業務内容は次のとおりであり、いずれも原告にとって過重な業務であった。

(一) 寝屋川事務所及び大阪自動車税事務所

昭和四二年四月に原告の勤務していた寝屋川事務所が統合して大阪自動車税事務所(本所)となり、更に同年五月に廨の指定を受け、事務所の業務量が著しく増大した。すなわち、従来からの寝屋川事務所の業務に加えて、従来は本庁課税課等の業務内容であった電算室への書類送付準備、還付事務、歳入、歳出関係事務や庶務関係の業務が追加された。

更に、昭和四三年七月から自動車取得税が新設されたことに伴い、同税に関する業務が新たに加わった。この結果、課税件数は、昭和四三年度は四三万一二六〇件と前年度に比較して約2.6倍の増加となったが、大阪自動車税事務所の人員数は昭和四三年度は三七名で、前年度と比べて約1.42倍にしか増員されず、一人当たりの業務量が著しく増大する結果となった。

原告については、事務所の昇格による業務量の増加と自動車取得税の新設に伴う業務量の増加をまともにかぶることとなった。殊に、自動車取得税の業務は全く新しい業務であり、作業手順の整理の不十分さなどから混乱が三箇月程度も続き、残業が恒常的となり、午後七時以前に退庁することはなく、午後八時、九時になることもあった。更に、業務量の増大は、一件ごとの処理スピードを早くすることを要求し、原告は、自らの肉体的限界を超えて身体を酷使せざるを得なかった。

(二)(1) 南府税総務課調査広報係

原告は、主として文書の発送、税務統計及び徴収見込額の報告書作成等の筆記事務に従事した。

(2) 南府税納税課管理係

ア 全般的過重性

納税課管理係は、いくつかのチームに編成されており、原告は、諸税チーム(個人事業税、自動車税、不動産取得税、娯楽施設利用税、軽油取引税等)の担当のうち、主に個人事業税の担当をし、更に自動車税の業務も行った。この諸税チームは、四人編成であったが、会計機操作は原告と男子一名の二名のみが行った。個人事業税は、八月末と一一月末が納期限であり、自動車税は、五月末と一〇月末が納期限であり、その時期の前後は特に忙しく業務量にむらがあった。更に、原告が配属された時期には、諸税の全般的業務に未処理で滞納されていたものが多く、残業、日曜出勤で処理しなければ追い付かない状況で、特に業務量の増加する納期の前後には、肉体の限界を超える疲労感を覚えるほどであった。

イ 具体的業務による負担

次のとおり、原告の担当した業務は、いずれも上肢を同一姿位に保持したり、手指を過度に使用する業務がほとんどである。

(ア) 個人事業税の収入消し込み(押印処理、会計機処理)(別表1参照)

押印、加算機操作、会計機操作等上肢に過度の負担のかかる業務である。

(イ) 督促状、整理票の発行(別表1参照)

カードの照合、抜き出し、加算機操作、発行枚数の集計、住所、氏名、税額その他の必要事項のボールペン筆記業務等いずれも上肢に過度の負担のかかる業務である。

(ウ) 連絡票の発行(別表1参照)

二部複写の連絡票をボールペンで記入する業務であり、上肢に負担のかかる複写業務である。

(エ) 仮決算(別表2参照)

カードの抜き出し、加算機操作等上肢に負担のかかる業務である上、昭和四五年一、二月の時期に他の業務のほかに、この業務が集中するため、負担が倍加する。

(オ) 窓口業務等(別表2参照)

納税証明書の発行は来客の都度行い、この来客数が多く、また電話照会も多いため、その都度作業が中断され、初めから内部の事務処理のやり直しをさせられる。この結果、精神疲労も多い。

ウ 原告の担当作業の変更

昭和四五年三月に原告の手の甲、指に痛みが生じたため、原告は、上司に訴えて、同年四月から二箇月間納税管理係で、会計機の操作のみは外されたが、その他の上肢、肩、首に負担のある業務は従来どおり行っている。

(3) 南府税課税第一課法人事業税係

ア 全般的過重性

法人事業税係は、月末に申告が集中する関係で、月初、月末の数日間は業務量が著しく増加し、業務量に相当のむらがあるほか、原告にとって、初めての法人関係の業務のため、担当して半年間は習熟していない業務による精神疲労も加わった。

イ 具体的作業による過重負担

原告の法人事業税係における業務は、会計機操作はないものの、上肢、肩、首に過度の負担のかかる業務ばかりであり、既に昭和四五年三月に頸肩腕障害の初発症状を呈している原告に対しては、過重負担となる業務であった。

(ア) 申告用紙の発送(別表3参照)

封筒の表書、納付書、添附書類の折り込み、封筒詰め作業、申告書(原紙、二部複写)に所在地、法人名、法人番号、前事業年度事業税額、予定申告事業税額等のポールペンによる記入など上肢の過度反復作業、手指の酷使作業である。

(イ) 申告書の受理(別表3参照)

申告が月末に集中するため、月末、月初にこの業務は集中し、業務量が増大するため、労働密度が極めて高くなる。各申告書を精査、検算の上、台帳をキャビネットから抜き出し、所要事項(申告年月日、総所得金額、課税標準額、税額等)を記入し、押印の上、台帳を元に戻すが、集中して筆記業務を行うため、手指を酷使するほか、台帳をキャビネットから抜き出す際にも手指を酷使し、更に腰部にも大きな負担がかかる。

(ウ) 課税資料連絡表の作成(別表3参照)

月末、月初に集中する業務である上、二部複写の用紙にボールペンで所要事項を記入する業務を連続して行うため、上肢、手指に過度の負担がかかる。

(エ) みなす申告決議書の作成(別表3参照)

二部複写の決議書にボールペン記入作業であり、手指を酷使する。

(オ) 督促状の発行(別表3参照)

手指作業である。

(カ) 国税資料収集(別表4参照)

税務署に月一回出張し、一日で百数十件の法人につき、複写用紙に、所要事項を連続記入する作業であり、連続して上肢、手指を過度に使用する。

(キ) 更正・決定決議書の作成(別表5参照)

二部複写用紙に、所要事項を記入し、押印処理、ナンバーリング打ち、封筒詰め作業等上肢の過度使用、手指酷使を伴う業務である。

(ク) 申告是認決議(別表5参照)

照合作業、申告是認、担当者印の押印作業等を毎月のうち二、三日集中して行う。

(ケ) 分割通知の作成(別表5参照)

二部複写の通知書に、所要事項を記入し、本庁に送付するが、これもボールペン複写作業である。

(コ) 法人設立申告書の処理(別表5参照)

台帳、法人連絡表に必要事項を記入していくが、これも毎月三日ないし五日に集中し、筆記作業を行う。

(サ) 法人異動事項申告書の処理(別表5参照)

台帳、法人連絡表への筆記作業のほか、複写用紙へのボールペン記入作業もある。

(シ) 法人登記事項調査(別表6参照)

法務局へ出張し、丸一日商業登記の台帳を見ながら法人登記事項調査表(二部及び四部複写)に鉛筆で所要事項を連続記入する作業であり、上肢、手指を過度に酷使する。

(ス) その他(別表6参照)

以上の原告の業務内容は、多岐にわたっているが、これらは会計機操作こそないものの、ボールペン複写を始めとして書写業務やナンバーリング、書類繰りなど、一般事務作業として頸肩腕障害の原因となりうる作業ばかりである。原告は、右業務を昭和四五年六月から昭和四八年三月まで担当し(ただし、昭和四八年二月九日から同年三月末まで頸肩腕障害及び腰痛症治療のため休業)、同年四月から窓口業務等に従事して業務軽減措置を受けた。

3  原告が前記の業務を行うことにより、原告に次の症状が生じた。

(一) 布施府税

全身疲労があり、帰宅すれば夕食時を除いて横にならないと疲労が回復しなかったが、具体的な症状はなく、一日の疲労は翌日にわずかに残る程度であった。

(二)(1) 寝屋川事務所

肉体的疲労は少なく、人間関係で精神的疲労が若干ある程度であった。

(2) 大阪自動車税事務所

業務量の著しい増大の中で、疲労が回復せず、朝起きられない、昼休みも横になっている、毎日の疲労が一晩の睡眠によっても回復せず、積み重なっていく感じとなる。このため原告は、昼休み時間は更衣室兼休養室で寝て過ごす、帰宅すればすぐ横になるという生活であり、全身疲労の蓄積が継続していくようになった。

(三)(1) 南府税納税課管理係

原告は、昭和四五年三月に指、手の甲に痛みを覚え、同年四月に府立成人病センターで受診したところ「異常なし、会計機操作はしない方がよい」と診断され、同年五月に上二病院では、「筋肉疲労」と診断されるに至った。原告は、同年四月に上司に指、手の甲の痛みを訴え、会計機操作業務を外されているが、この同年三月の段階で原告の筋疲労が強度となり、頸肩腕障害発症の準備段階(初発症状)にあったと考えられる。

(2) 南府税課税第一課法人事業税係

原告の疲労感は増大し、背中、腰の冷感を覚え、昭和四六年一〇月に指、手が痛くてボールペンの使用が不可能となる。更に疲労感は慢性化し、同年末ころから腕、肩、背中及び腰の痛みや、頭痛、生理痛、視力低下がひどくなり、ついに原告は昭和四八年二月九日に上二病院で「頸腕症候、腰痛症、向こう一箇月の休業を要する」との診断を受け、休業するに至った。

その後の原告の各医療機関における受診の経過は次のとおりである。

ア 昭和四八年三月九日 上二病院

「頸腕症候、来る三月末まで休業を要し、以後軽作業のもとに半日勤務できる見込みである」との診断を受ける。

イ 同年四月二三日から昭和五〇年三月 安里成人病診療所

「右側頸肩腕部症候群症並心障害。向後三箇月間の労働時間の短縮と右側腕に過度の負担のかからない作業をする必要がある」と診断されるほか、昭和五〇年三月七日付けで「外傷が認められないので、右上肢の作業による過度の疲労によって起こったものと判断される」との診断を受ける。

ウ 昭和五二年六月二八日 松浦診療所

「頸肩腕障害及び筋・筋膜性腰痛症」と診断される。

4  ところで原告には、基礎疾病その他の疾患はない。

原告は、主治医松浦良和により「頸肩腕障害、筋・筋膜性腰痛症」との診断を受けるに際し、種々の鑑別テストを受けている。右テスト結果によれば、レントゲン所見は首、腰ともに正常であり、血液検査においてもリューマチ反応はマイナス、炎症所見を示すCRPテストもマイナスで、いわゆる炎症性疾患もない。また、腫瘍等の悪性疾患も認められず、頸肋もない。そして、鑑別を要すべき他の整形外科的あるいは内科的疾患も認められず、他の原因となる基礎疾病がないことは明らかである。

昭和四八年四月二三日付け安里成人病診療所の診断書では、付記として「心障害」との診断名が付されているが(他の診療機関でこのような診断をしたものはない)、この点についても、松浦医師は、心電図検査、聴心、既往、様々な症状の聞き取りをしたが、心障害との病名に一致するような所見は認められないとしており、原告に心障害の存しないことは明らかである。

また原告は、昭和四〇年ころ、軽い交通事故の受傷経験があるが、この受傷は、当時レントゲン所見もすべて異常なしという程度のもので、それが数年以上も期間を置いて症状として発現することは考えられず、原告の本件症状との因果関係を有していないことは、松浦医師も認めているところである。

以上の点から、原告には、本件症状の原因となるべき基礎疾病並びに既往歴がないことは医学的に明らかである。

5(一)  以上のとおり、原告の従事した業務の作業態様、作業量、作業姿勢や業務従事期間、施設環境、基礎疾病の有無等を個別的に検討の上、総合的に判断するならば、原告の頸肩腕障害は、原告の担当した公務と因果関係を有するものであり、右公務に起因したものであることは明らかである。

(二)(1)  もっとも被告のよっている地方公務員災害補償基金理事長(昭和四五年三月六日地基補第一二三号)及び同補償課長(昭和五〇年三月三一日地基補第一九二号)の各通知(以下「キーパンチャー通知」と総称する)によれば、頸肩腕症候群が公務上災害と扱われるためには、以下の要件が必要であるとしている。

ア 上肢の動的筋労作又は静的筋労作を主とする業務に従事する職員で、相当期間(発症まで六箇月以上)継続して当該業務に従事したこと。

イ 業務量が同種の他の職員と比較して過重である場合又はその業務量に大きな波があること。

ウ いわゆる「頸肩腕症候群」と診断され、医学上療養が必要であると認められること。

エ 公務以外の原因によるものでないと認められること。

オ 当該業務の継続により、その症状が持続し又は憎悪する傾向を示すこと。

(2) 右要件のうち本件では、ウについては当事者間に争いはなく、エについては前記のとおり原告に基礎疾病等がないことから公務以外の原因によるものでないことは明らかである。

アについては、被告は会計機操作しか問題にしていないが、前記のとおり、原告の業務は、業務の種類は異なっても、上肢の動的筋労作又は静的筋労作を主とする業務であり、昭和四五年三月に初発症状を発症してから、慢性的経過をたどり、昭和四八年二月に休業に至るまで相当期間継続して負担のある業務に従事している(この点はオの要件も満たしている)。

またイについても、原告の業務は月末、月初、決算期等に繁忙となり、業務量に大きな波があることは明らかであり、イの要件も満たしている。

以上の点からすれば、キーパンチャー通知によっても、原告の頸肩腕症候群は公務上と認定されなければならない。

(3) 被告は、原告の作業量につき、会計機操作のみを取り上げて、同種の他の職員と比較して過重でないと主張する。これはキーパンチャー通知のイ(以下「過重要件」という)を意識したものと考えられる。

しかし、ここで注意すべき点が二点ある。

第一は、キーパンチャー通知によっても、業務量に大きな波がある場合(原告はこれに該当する)には、同種の他の職員との比較は不要であるということである。

第二は、同種の他の職員との比較という基準は、そもそも合理性がないということである。いわゆる平均的業務量というものは、医学的に見て健康障害を発症しない業務量ということで設定されているものではないからである。したがって、平均的業務量を超えている場合には、業務の過重性の判断要素の一つと考えられても、平均的業務量を超えていない場合に業務の過重性を否定する根拠にはなりえないのである。

6  また原告の腰痛症については、頸肩腕障害の発症は、局所的には、上肢、首、肩に症状として発現するが、その基礎として全身疲労が存在し、その全身疲労は、往々にして腰部において筋・筋膜性腰痛(過労性腰痛)として発現すること、徴収簿のキャビネットからの出し入れが、原告の腰部に不自然な姿勢を強い、過度の負担を加えることは当然であるが、それ以外にも座ったままでの、あるいは、立ったままでの各種作業は、頸肩腕障害の発症の原因となると同時に、腰部に過度の負担を強いる結果となり、全身疲労状況の下では、腰痛の発症原因となることは、我々もしばしば経験することであること、原告の腰痛症は、他に基礎的原因のないことが明らかなこと等によれば、原告の前記のような過重な業務により生じた頸肩腕障害に随伴するものとして、公務起因性を有していることは明白である。

7  原告は、原告の頸肩腕障害及び腰痛症(以下「本件疾病」という)が公務に起因して発生したものであるとして、昭和五〇年三月五日付けで被告に対し、公務上災害の認定を請求したところ、被告は、昭和五二年一一月二一日付けで本件疾病は公務に起因したものとは認められない旨決定した(以下「本件処分」という)。

原告は、これを不服として地方公務員災害補償基金大阪府支部審査会に対し審査請求をしたが、昭和五六年九月二日付けで前記同様の理由で棄却されたため、更に、地方公務員災害補償基金審査会に再審査請求をしたが、昭和五八年一一月三〇日付けで再審査請求を棄却する旨の裁決がなされ、同年一二月二二日その送達を受けた。

8  しかしながら、原告の本件疾病は既に述べたとおり、公務上発生した場合に該当するから、被告がこれを公務外災害と認定した本件処分は違法である。

よって原告は、本件処分の取消しを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は、昭和五二年六月二五日以降の原告の経歴部分を除いてすべて認める。

2  同2冒頭の事実は争う。

(一)(1) 同(一)の事実のうち、寝屋川事務所が昭和四二年四月に統合して大阪自動車税事務所(本所)となり、同年五月に廨の指定を受けて、業務量が増大したこと(ただし、著しい増大であることは否認する)、廨の指定により、還付事務を含む本庁の業務が大阪自動車税事務所の業務となったこと、昭和四三年七月に自動車取得税が新設され、同税に関する業務も大阪自動車税事務所が担当するようになったこと、同月中旬ころから同年一〇月中旬ころまでの間、大阪自動車税事務所において残業があり、同年九月三〇日には男子職員の一部が午前三時まで残業したことは認めるが、その余の事実は、廨の指定により本庁から移管された事務の中に還付事務以外の原告主張の事務が含まれていることを除き否認する。

(2)ア 原告は寝屋川事務所及び大阪自動車税事務所において、大阪自動車税事務所が廨になる昭和四二年五月一九日以前は業務担当として自動車税の申告書の受理、電算処理のためのコード処理業務、証紙徴収業務をなし、大阪自動車税事務所が廨に昇格した以後は庶務の調定、記簿、還付の担当者として、昭和四三年七月以前は自動車税に関する、それ以降は自動車税及び自動車取得税に関する調定明細書の審査、調定通知伺の作成、還付事務、調定明細書等の編冊、製本の業務に従事したものである。

したがって原告は、大阪自動車税事務所が廨になった後は、庶務のみを原則的に担当したものであり、業務担当の作業は原則的に行わず、月末等で業務担当の作業が込み合った際に手伝いをした程度に過ぎないものである。

イ 原告は、大阪自動車税事務所が廨になる以前は自動車税の窓口業務である申告書受理、納付書作成等の作業、コード処理作業、陸運事務所に派遣されての受付業務、調定明細書作成作業を他の職員と分担していたものであるが、これらの作業は手指作業、上肢作業を一部含む一般混合事務であって、キーパンチャー通知にいう「上肢の動的筋労作又は静的筋労作を主とする業務」(以下「特定業務」という)には該当しない。また業務量についても過重であったとは到底いえない。

ウ 大阪自動車税事務所が廨になった以後の原告の作業は、日常的には前日の調定明細書の数額をそろばんで検算する作業、調定通知伺及び支出伺各一通の作成作業等であり、月単位では電算室から送付された還付関係の書類の点検及び訂正作業であり、また調定明細書等を重ねて電動ドリルで穴をあけ、それにタコ糸を通して行う編冊、製本作業であってこれらは前記と同様の一般混合事務であって、特定業務には該当しない。

還付業務のうち、訂正作業は二部複写と五部複写があり、その作成にはボールペンを使用していた。還付の処理件数については、自動車税のみであった昭和四二年度は三〇三二件、それに自動車取得税が加わった昭和四三年度においても三四九五件であり、そのうちボールペン複写に係る訂正分の割合は三分の一程度以下であって、他の府税事務所(及び地方事務所)の還付担当者はほとんど一名であり、その処理件数もはるかに多く、還付に関する書類はすべて手書きによっていたものであり、他の府税事務所によっては還付事務を主たる業務とする者がいること、自動車取得税の還付は手書きであったことを勘案しても原告の筆記件数は他の事務所の還付業務の担当者の筆記件数に比してはるかに少なかったものである。

エ 原告の業務内容は前記のとおりであり、廨になったことにより、新たに還付業務が本庁から移管されたものであって(原告がその担当になった)原告にとっては右還付業務が従前の業務以外に更に増えたものではないし(廨になることにより担当替えがなされたということである)、自動車取得税の新設によって原告の業務で増加したものは当該税の還付業務(その件数は不明であるが昭和四三年度の還付件数を前年度のそれと比較してみれば、年間約四五〇件程度と考えられる)及び検算の件数等である。しかしこれらについては新規採用の職員(野手葉子)が原告の補助をしており、特に還付事務はさほどの習熟を要する作業ともいえない(原告も大阪自動車税事務所が廨となった昭和四二年五月二〇日担当したときは初めての作業であった)ので業務量の増加分を原告が負担したとはいえないのである。

大阪自動車税事務所全体でみてみても、月末の二、三日は金融機関に納付された金額と調定明細書の金額の照合のため残業が必要であり、特に自動車取得税が創設された後である昭和四三年七月半ばから同年一〇月半ばにかけては自動車取得税の処理の不慣れもあって残業があり、男子職員の一部は同年九月三〇日には翌日の午前三時ころまで残業したことがあったが、これ以降は従前の状態に戻った。また残業の内容は職員全員(老齢の職員三名を除く)による金額の照合作業であり、残業時間中全員がそろばんや加算機の操作をしたものでもない。そしてこの照合作業は本来的には業務担当者の仕事であり、原告の担当外である。

業務量についても昭和四二年度の自動車税の処理件数と昭和四三年度の自動車税及び自動車所得税の処理件数を単純に比較することは事務処理の流れからみて妥当なものとはいえない。軽自動車等の場合を除き、両税は一枚の申告書でなされ、両税の調定明細書も一枚に組み込まれていて、作業が二度手間になるものではなかったからである。また、自動車取得税は流通税であり、取得に対して一回課税されるものであるから、保有税である自動車税と違い、コード処理の必要がなかった。

(二)(1) 同(二)(1)の事実は認める。なお事務の内容は、南府税内各課の総合調整に関する事務、府政の広報公聴に関する事務等であり、これらの事務は手指、上肢作業をほとんど含まない一般事務である。

(2)ア 同(2)の事実のうち、原告が個人事業税を担当するほか自動車税の業務もしたこと、原告がその具体的作業として、別表1、2「作業の種類」欄記載の作業をし、別表1「会計機処理」欄中の「期間、件数、要する時間」欄記載の数値が原告主張に係るとおりであること、昭和四五年四月から、原告主張に係る経緯で原告の担当作業の変更があったことは認めるが、その余の事実は、諸税チームが、四人編成であったこと、個人事業税の納期が八月末と一一月末であり、自動車税の納期が五月末と一〇月末であったこと、別表1、2中の「態様(作業細目)」欄記載の事項が原告主張に係るとおりであること(ただし、別表1中の「収入消し込み」欄記載の「そろばんを入れる」部分及び「押印処理、督促状発行、整理票発行」欄記載の「加算機による集計」部分は、原告がこれを日常的にしていた趣旨であるならば否認する)を除き否認する。

イ(ア) 原告は、納税課管理係として、主として個人事業税、個人府民税に係る業務を担当し、主として個人事業税に関する徴収簿への記録その他督促状、整理票の発行、納税証明、電話照会等の業務に従事した。

(イ) 徴収簿への記録作業は、配布された収納済通知書により徴収簿に記録するものであるが、納期内完納分については、当該徴収簿に完納印を押印し、それ以外の分については、会計機を使用して当該徴収簿に印字するという作業である。

原告の会計機操作状況は、別表7のとおりであって、昭和四四年一〇月から昭和四五年二月までの使用日数三一日につき、処理件数は一日平均143.5件、操作時間は一日平均88.1分であり、処理件数、操作時間とも他の職員と比較して少なく(原告の会計機操作に係る税目は個人事業税が主たるもので、一部自動車税もあったものと思われるが、いずれも納期内完納分については押印処理をしていたものであり、他の担当者が担当していたそれ以外の税目は納期内完納分についても会計機処理をしていたものである)一件当たりのタッチ数も他の税目の場合よりも少ないものである。また使用した日数も一番多い昭和四四年一一月でも一〇日間しかなく、昭和四五年一月などは四日間しか使用しておらず、会計機を日常的に使用していたものとはいえない。

会計機使用時間は四五分を限度とする断続使用であったが、原告が指の痛みを訴えたため、昭和四五年四月からは担当業務から外されている。

(ウ) 原告は、配布された収納済通知書の税額の合計について、そろばんを使用して検算をしていた旨主張するが、そのような検算をする必要もなく、他の税目担当者はそのような作業をしていなかったもので、原告のみがそのような作業をしていたかどうかは疑わしい。

(エ) 原告は、押印処理、督促状、整理票の税額の集計作業に日常的に加算機を使用していた旨主張するが、原告はそろばんが得意であり、集計に加算機が必要なものではないし、また、当時管理係にはタッチの重く、スピードの遅い簿記加算機と通常の加算機が各一台あったが、簿記加算機は山根英子が午前中、月末は午後も使用していたことが明らかであるから、右主張によれば残りの一台を原告を含む税目ごとの担当者の合計一一名で日常的に使用していたということになり、到底信用できない。原告は右の集計作業をそろばんでしていたものと推認するのが合理的である。

原告が加算機を使用したのは、昭和四五年一月末から同年二月初めの仮決算の作業である。原告の主張によっても加算機で集計したのは四二〇〇件程度を一〇日余りで処理したに過ぎない。

(オ) 原告の納税課管理係における作業のうち会計機操作はキーパンチャー通知にいう動的筋労作に該当するが、原告は、前記のとおり処理件数、操作時間とも少なく、これを主たる業務としたものではなく、その他の業務も手指、上肢作業を伴う一般混合事務であり、特定業務に該当しない。

また会計機操作以外の業務の業務量についても、納税課管理係及び他の事務所の他の職員に比して過大であったとは到底いえない。

(3)ア 同(3)の事実のうち、原告の具体的作業が、別表3ないし6「作業の種類」欄記載の作業であること、原告が右業務を昭和四五年九月から昭和四八年三月まで担当した(ただし、昭和四八年二月九日以降は休業した)こと(昭和四五年六月から同年八月までの担当は否認する)、昭和四八年四月からは窓口業務等に従事して業務軽減措置を受けたことは認めるが、その余の事実は、別表3ないし6中の「態様(作業細目)」欄記載の事項が原告主張に係るとおりであることを除き否認する。

イ(ア) 原告は、課税第一課法人事業税係として、昭和四五年六月一日から当初三箇月間は、法人設立申告書、法人異動事項申告書の処理等の諸届けの処理に従事し、同年九月以後は、南府税所管の法人のうちナ、ハ行の法人について、法人事業税、法人府民税の申告用紙発送、申告書受理、台帳登載、更正・決定決議、申告是認決議に関する事務、国税資料収集等の業務に従事した。

(イ) 右の業務のうちボールペンで二枚複写をする作業は予定申告書に所要事項を記入すること、課税資料連絡表(申告書により二五件ずつ所要事項を記載)の作成、更正・決定決議書の作成、分割法人の関係都道府県に対する課税標準額の通知書作成等であり、転記作業は新設法人からの設立申告書による法人台帳の作成、確定申告書、予定申告書による税額等の法人台帳への登載、異動事項申告書による異動事項の法人台帳への登載、月一回所轄税務署に出張して調査表に税額等の転記であり、原告はこれらの転記作業をつけペン、サインペン、鉛筆でした。ナンバーリング作業は、更正・決定決議により税額の変更が生じた法人への通知書の文書番号のナンバーリング作業である。右の三種の作業のほかは受付事務、電話の応答取次事務、文書の整理事務等である。

これらの業務は、手指、上肢作業を一部伴う一般混合事務で、特定業務に該当しない。

(ウ) 南府税の担当者一名当たりの年間法人府民税、法人事業税の処理件数は、昭和四五年度は一三六八件、昭和四六年度は一四〇九件、昭和四七年度は一四八三件であり、月別処理件数についても三月、九月の法人の決算による業務の集中があったとはいえないし、原告だけに業務が集中したという事実もなく、原告が他の担当者より処理件数が多かったとの事実もない。また他の府税事務所の処理件数、担当者数と比較しても南府税の担当者が他の府税事務所の担当者より処理件数が多いという事実もない。

(エ) この期間は残業はなかったし、原告の休暇所得状況は別表8のとおりであり、原告は十分な休暇を取得していたものである。法人事業税係は、一般に府税事務所の職員の大部分が転勤先として希望する精神的負担が少なく、かつ業務が楽な職場である。昭和四八年二月九日から原告は休業した。

3  同3冒頭の、業務と発症との因果関係存在の事実は争う。

(一) 同(一)の事実のうち原告に当時具体的な症状はなかったことは認めるが、その余の事実は不知。

(二)(1) 同(二)(1)の事実のうち、原告に当時肉体的疲労が少なかったことは認めるが、その余の事実は不知。

(2) 同(2)の事実は不知。

(三)(1) 同(三)(1)の事実のうち昭和四五年三月に原告の筋疲労が強度となり、頸肩腕障害の準備段階(初発症状)にあったことは否認するが、その余の事実は認める。

(2) 同(2)の事実のうち、原告の受診した日、診療機関、診断内容が原告主張のとおりであることは認めるが、その余の事実は不知。

4  同4の事実のうち、松浦医師による原告の鑑別テストの結果が原告主張に係るとおりであること、安里成人病診療所の昭和四八年四月二三日付け診断書に心障害の診断名が付されていることは認めるが、その余の事実は不知。

5(一)  同5の事実のうち、頸肩腕症候群が公務上災害とされるためのキーパンチャー通知所定の要件が原告主張に係るとおりであることは認めるが、その余の事実は否認する。

(二)(1)  原告の業務内容は、布施府税時代は頸肩腕症候群の特定業務である上肢の動的筋労作を主たる業務にしていたものであるが、過重要件を満たす事実はなく、原告の発症時期とは長い年月の間隔があり、相当因果関係を認めることは到底できないものである。

寝屋川事務所以後の業務は、前記のとおりいずれも特定業務に該当しないものである。そのうち南府税納税課管理係時代の会計機操作は、上肢の動的筋労作の作業に該当するが、前記のとおり会計機操作の状況及びその業務内容からみて、上肢の動的筋労作を主たる業務にしていたとは到底いえないのである。

以上によれば、原告の業務は、布施府税時代を除き、キーパンチャー通知所定の特定業務に該当しないからキーパンチャー通知の主観的要件を欠き、原告の疾病との相当因果関係を推定(経験則上の推定)することはできない。

(2) キーパンチャー通知の要件に該当しない作業からの原告の疾病の発症をすべて否定するものではないが、作業態様、作業従事期間、作業量等に照らし、そういう分量、態様で従事していれば、発症してもなるほど無理はないと納得し得る場合であって初めて疾病の公務起因性、公務との相当因果関係を認定し得るのである。そして他に発症要因と思料される事由を見出し得ないことから直ちに業務量の過重性をさかのぼって推認することはできないものである。

原告の業務内容は、会計機操作以外は手指、上肢作業を一部含む一般混合事務であり、公務起因性を認定するためにはキーパンチャー通知の過重要件より更に加害要素を指摘し得る程度の特段の事情を要するものというべきである。

(3) 以上の観点から、原告の従事した業務における作業の態様及び業務量と原告の疾病発症の経緯等の事実関係についてみれば、

ア 布施府税時代

前記のとおり原告の業務の過重性を認める事実はなく、医療機関に受診した事実もない。また原告の疾病の発症時期からみても、この時期の業務が原告の疾病の原因であるとは到底考えることはできない。

イ 寝屋川事務所(大阪自動車税事務所)時代

廨になる以前の原告の業務の過重性を認める事実はなく、業務内容による肉体負担は考えられないものである。

廨に昇格して後の原告の業務は庶務の担当で、筆記業務は多くなく、上肢への負担は考えられない。

自動車取得税新設後においても、原告の業務は従前と同様庶務担当で、事務量の増加に伴う人員配置(補助の職員がついた)がなされ、原告の負担は増加したものではない。この時期においても医療機関への受診の事実もない。

ウ 南府税時代

総務課調査広報係では、手指、上肢作業そのものがほとんどなく、この時期の業務内容によっては原告の疾病の発症事由を考えることができない。

納税課管理係では、会計機操作をしたが、前記のとおりその処理件数も処理時間も少なく、これが主たる業務ではなかったものであり、その従事期間も六箇月間である。昭和四五年三月に手指の痛みを訴えて(大阪府立成人病センターでは、異常なし、ただし会計機操作はさせない方がよいとの診断であり、同年五月の上二病院では筋肉疲労との診断であった)、会計機操作から外されたものであり、外された分だけ従前より他の手指、上肢作業が増加したものでもない。

同年四月からは会計機操作以外の業務に従事し、手指の故障を訴えたことを考慮して、同年六月には課税第一課法人事業税係へ配置転換され、同年九月までは手指、上肢作業がほとんどない諸届けの処理等の雑用をしていたものである。

同年九月から本件疾病の診断をされ休業した昭和四八年二月までの約二年六箇月間は、前記のとおり手指、上肢作業を含む一般混合作業に従事したが、残業もなく、休暇も十分に取得している。業務の過重性を認める事実はない。

(4) 前記相当因果関係の考え方を前提にすれば、原告の業務に特段の過重性を認めることができない以上、原告の疾病の公務起因性を認めることはできないものというべきである。仮に譲ってキーパンチャー通知の主観的要件を度外視して考えてみても、原告にはキーパンチャー通知の過重要件を認定できない以上公務起因性を認めることができないものである。

また原告は、遅くとも南府税の会計機操作の時点では頸肩腕症候群についての知識を有していたし、手指に痛みの出た以後は法人事業税係においても、複写作業以外の筆記作業はつけペン、サインペン、鉛筆を使用して上肢に負担のかからないように注意していたのである。

更に狭義の頸肩腕症候群のうち、職業起因性のものは適切な治療がなされれば三箇月程度で治癒に至るとか、有害作業への暴露から離れて六箇月程度で治癒に至るものとされ、配置転換後数箇月を経ても障害を訴える場合は労働の過重より本人の病的素因を重視すべきものとされているところ、原告は五三日間の休業の後職場に復帰し、手指、上肢作業から外されるという業務の軽減措置を受けたにもかかわらず、発症後一四年余の現在まで治癒に至っていないのであり、病態の点から考えても職業起因性を認めることは到底できないものである。

6(一)  同6の事実は争う。

(二)  地方公務員災害補償基金理事長(昭和五二年二月一四日地基補第六七号)及び同補償課長(同日地基補第六八号)の各通知(以下「腰痛通知」と総称する)によれば原告主張のような災害性の原因によらない腰痛が公務上の災害として取り扱われるには、

(1) 腰部にとって極めて不自然若しくは極めて非生理的な姿勢で毎日数時間程度行う業務又は腰部の伸展を行うことのできない同一作業姿勢を長期間にわたり持続して行う業務等腰部に過度の負担のかかる業務に、比較的短期間(おおむね三箇月から数年以内をいう)従事する職員に発症した腰痛であること、

(2) 当該職員の業務内容、作業態様、作業従事期間及び身体的条件からみて当該業務に起因して発症したものと認められること、

(3) 医学上療養を必要とすること、

等の要件から判断して、公務との間に明らかな因果関係を必要とするとされている。

ところで原告は、原告の業務のうちキャビネットからの徴収簿の出し入れ業務を腰痛の発症原因であると主張するが、右業務が腰痛通知所定の腰部に過度の負担のかかる業務であるとは到底いえない。また原告の業務のいずれをとっても腰部に過度の負担のかかる業務には該当しないものである。

7  同7の事実は認める。

8(一)  同8の事実は争う。

(二)  本件疾病の発症の原因に原告の業務が全く無関係であったとまではいえないとしても、本件疾病は、原告の心身上の資質、因子を主たる原因とし、これに公務への従事その他の日常生活上の諸要因が肉体的、精神的にからみ合って発症したもので、本件処分には何ら違法はないものである。

第三  証拠<省略>

理由

第一請求原因1の事実(昭和五二年六月二四日までの原告の経歴)は、当事者間に争いがない。

第二原告の業務内容、本件疾病等について

一原告の業務内容

請求原因2(一)の事実のうち、寝屋川事務所が昭和四二年四月に統合して大阪自動車税事務所(本所)となり、同年五月に廨の指定を受けて、業務量が増大したこと(ただし、著しい増大であることは争いがある)、廨の指定により、還付事務を含む本庁の業務が大阪自動車税事務所の業務となったこと、昭和四三年七月に自動車取得税が新設され、同税に関する業務も大阪自動車税事務所が担当するようになったこと、同月中旬から同年一〇月中旬ころまでの間、大阪自動車税事務所において残業があり、同年九月三〇日には男子職員の一部が午前三時まで残業したこと、同(二)(1)の事実、同(2)の事実のうち、原告が個人事業税のほか自動車税の業務も担当したこと、原告がその具体的作業として、別表1、2「作業の種類」欄記載の作業をし、別表1「会計機処理」欄中の「期間、件数、要する時間」欄記載の数値が原告主張に係るとおりであること、昭和四五年四月から、原告主張に係る経緯で原告の担当作業の変更があったこと、同(3)の事実のうち、原告の具体的作業が別表3ないし6中の「作業の種類」欄記載の作業であること、原告が右業務を昭和四五年九月から昭和四八年三月まで担当した(ただし、昭和四八年二月九日以降は休業した)こと(昭和四五年六月から同年八月までの担当は争いがある)、昭和四八年四月からは窓口業務等に従事して業務軽減措置を受けたことは当事者間に争いがなく、また、同(一)の事実のうち、廨の指定により本庁から大阪自動車税事務所に移管された事務の中に還付事務以外の原告主張の事務が含まれていること、同(二)(2)の事実のうち、諸税チームが四人編成であったこと、個人事業税の納期が八月末と一一月末であり、自動車税の納期が五月末と一〇月末であったこと、別表1、2中の「態様(作業細目)」欄記載の事項が原告主張に係るとおりであること(ただし、別表1中の「収入消し込み」欄記載の「そろばんを入れる」部分及び「押印処理、督促状発行、整理票発行」欄記載の「加算機による集計」部分は、原告がこれを日常的にしていた趣旨では争いがある)、同(3)の事実のうち、別表3ないし6中の「態様(作業細目)」欄記載の事項が原告主張に係るとおりであることは、被告が明らかに争わないので、これを自白したものとみなす。

そして右事実及び前記請求原因1の事実並びに<証拠>を総合すると、左の事実が認められ(る)。<証拠判断略>

1  昭和三九年四月から昭和四一年六月二四日まで(布施府税時代)

(一)(1) 原告は、昭和三九年四月に大阪府に採用され、布施府税に勤務することとなり、昭和四一年六月二四日まで総務課調査係(後に納税課管理係)に配属され、主として自動車税に係る窓口業務(納税証明書の発行、電話照会)、収納消し込み、督促状、整理票、連絡票の発行、還付通知書の作成、決算事務等を担当した。

(2) 原告の右担当業務のうち収納消し込み業務は会計機の操作を伴うもので、原告は右を主たる業務としていたが、その業務量は、原告のその余の業務である通常の一般事務を含めても、布施府税又は他の府税事務所の他の会計機担当者のそれと比較して同程度であった。

(二) 右のとおり、原告の右職場における業務は、上肢の動的筋労作である会計機の操作を主とする業務であったが、通常の一般事務との一般混合事務であり、その業務量も布施府税又は他の府税事務所の他の会計機担当者のそれと比較して同程度であり、到底過重な業務と認めるに至らない。

2  昭和四一年六月二五日から昭和四四年五月二七日まで(寝屋川事務所(大阪自動車税事務所)時代)

(一) 昭和四一年六月二五日から昭和四二年四月二三日まで(寝屋川事務所)

原告は、右期間寝屋川事務所に勤務し、業務部門担当として自動車税申告書の受理、これを電子計算機にのせるためのコード処理、新規登録の自動車税徴収事務を担当したが、その業務量は他と比較して同程度であり、労働密度も高くはなかった。

(二) 昭和四二年四月二四日から同年五月一九日まで(大阪自動車税事務所)

寝屋川事務所は昭和四二年四月二四日に統合して大阪自動車税事務所(本所)となったが、右期間の原告の業務は従前と同様であった。

(三) 昭和四二年五月二〇日から昭和四三年六月三〇日まで(前同)

(1) 大阪自動車税事務所全体の業務は、同事務所が昭和四二年五月二〇日に廨となることにより、本庁から歳出予算及び認定、還付、減免等の事務が移管されたことから増大した。

(2) ところで原告は、その際業務部門担当から庶務部門担当(原告を含む三名で担当)に替わり、庶務部門のうち調定、記簿、還付等の事務を一名で担当するようになったもので、右業務増大の影響を直接受けることはなく、自らの事務にゆとりがあり月末等で業務部門が多忙なときには業務部門を手伝う程度であった。

(3) 原告の庶務部門における具体的な作業内容は、前日の調定明細書の数額のそろばんによる検算、調定通知伺、支出伺の作成、還付関係書類の点検、訂正(これらにつき二部複写、五部複写の文書をボールペンを使用して作成したことはあったが、六部複写の文書の作成はなかった)、調定明細書等の編冊、製本作業等であった。

(四) 昭和四三年七月一日から昭和四四年五月二七日まで(前同)

(1) 昭和四三年七月に自動車取得税が新設されたことにより、大阪自動車税事務所全体の業務量は一層増大し、その調定件数は約2.3倍に増加したが、その人員は約1.6倍増加したにとどまったことから、特に自動車取得税の処理に不慣れであった同年九月末ころまでは残業が続き、同月三〇日には男子職員が翌日の午前三時ころまで残業をした。

(2) しかしながら自動車取得税の処理は、自動車税の処理より一件当たりでは簡易迅速になされるもので、また、職員がその処理に慣れてきたこともあり、昭和四三年一〇月ころからは、残業は月末に二、三日する程度となった。

(3) なお残業は、女子職員については午後七時ころまでであり、また原告は、前記のとおり庶務の担当で業務部門は手伝ったにすぎず、中心となって残業をしたものではなく、しかも自動車取得税の新設に伴い、原告の担当していた前記還付等の事務に自動車取得税の還付等が付加されることになったが、還付等事務を従前の原告一名から1.5名で担当するよう人員の手当がなされたため(原告に補助者として野手葉子がついた)、昭和四三年七月の自動車取得税の新設に伴う原告自身の業務は、同年九月ころまでの右手伝期間を除けば、増加したとはいえなかった。

(4) 原告の当時の業務量につき客観的な数値は明らかではないが、寝屋川事務所(大阪自動車税事務所)の還付の処理件数は、自動車税のみであった昭和四二年度は三〇三二件であるのに対し自動車取得税が加わった昭和四三年度においても三四九五件にとどまっており、また右件数のうちボールペン複写に係る訂正分の割合は、三分の一を超えなかった。なお他の府税事務所(及び地方事務所)においては還付事務は一名の担当者が大阪自動車税事務所よりはるかに多くの件数をすべて手書きで(大阪自動車税事務所においては、自動車取得税の還付事務は手書きであるが、自動車税の還付事務は関係書類が電子計算機で処理して打ち出され、訂正に際してのみ手書きをすれば足りた)処理しているものであった。

(五) そして右の事実によれば、原告の当時の業務量は、廨の指定以前は他の職員と同程度であり、また廨の指定後も業務担当から庶務担当へ異動したことにより特段の業務量の増加はなく、更に、自動車取得税の新設による大阪自動車税事務所全体の業務量の増加に際しても、これに伴い原告の事務について人員の手当がなされたので大阪自動車税事務所又は他の府税事務所(及び地方事務所)の他の職員と比較して同程度であり、またその内容も通常の一般的な事務で、特定業務ではなかったものである。

3  昭和四四年五月二八日から昭和五二年六月二四日まで(南府税時代)

(一) 昭和四四年五月二八日から同年一〇月六日まで(南府税総務課調査広報係)

(1) 原告は、右期間南府税総務課調査広報係に配属されたが、同係の職務は、南府税各課の総合調整、府政の広報、公聴等であり、原告はそのための文書の発送、税務統計、徴収見込額の報告書の作成等をした。

(2) 原告は、右作業をペン、ボールペンを使用しながら行ったが、一般的な事務であり、その業務量も通常の程度を超えるものではなかった。

(二) 昭和四四年一〇月七日から昭和四五年四月一七日まで(南府税納税課管理係)

(1) 原告は、右期間南府税納税課管理係に配属され、同係の諸税グループの一員として主として個人府民税、個人事業税を担当したが、他にその繁忙に応じて、同じ諸税グループの自動車税(担当者は小倉正明)の事務等を、手伝うこともあったもので、その具体的な作業の種類は、別表1、2「作業の種類」欄記載のとおりであった。

(2) 個人府民税の事務については、大阪府は大阪市に課税、徴収の業務を委託しているため、原告の負担はさしてなかった。

(3) 個人事業税は、納期が毎年八月末及び一一月末で、その時期の前後は特に処理が忙しくなるものであるところ、原告も昭和四四年一一月末の納期からその処理に当たることとなった。

(4) 納税課管理係においては、税の納入があると、これを受け付け、収納済通知書を作成した後、担当の山根英子が毎日午前中これを一括して加算機で集計の上、昼ころ原告ら各税の担当者に、各税目ごとに分類した右通知書及び集計結果を交付し、以下、各税の担当者が、改めて集計作業をすることなく、直ちに右通知書に基づき、当該徴収簿(カード)を、これを保管してあるキャビネットから抜き出した上、これに記載し、記載完了後当日分の集計をし(後記の会計機処理の場合は自動的に集計がなされる)、記載済みの徴収簿をキャビネットに戻すという扱いであった。また諸税のうち個人事業税及び自動車税については、その件数が多いことから徴収簿の記載に当たり、納期内完納分については日付けの記載のある完納印を押して処理する方式(押印処理)が採られ、納期内に完納されない分についてのみ会計機によって処理する方式(会計機処理)が採られた。

(5) ところで原告は、前記のとおり収納済通知書及び集計結果を受領した後、そろばんが得意であったこともあり、再度そろばんで集計しなおし、その上で処理を開始するのを常としていた。なお個人事業税及び前記のとおり小倉が多忙のときに手伝った自動車税については、押印処理が採られていたこともあり、原告の会計機処理件数及び会計機使用時間は納税課管理係の担当者の中では決して多くはなく、別表7(同表下段「当所」は納税課管理係の担当者総体を示す)のとおり、昭和四四年一〇月から昭和四五年二月までの使用日数合計三一日につき、会計機処理件数は一日平均143.5件、会計機使用時間は一日平均88.1分にとどまるものであった。

また会計機の使用に当たっては、毎回四五分間を単位として使用を一旦中止するよう指導がなされており、右指導はおおむね守られていた。

(6) 別表1「作業の種類」欄記載の押印処理及び督促状、整理票の発行に際しては、毎日これを集計する必要があったところ、原告は右集計を納税課管理係の備品であった加算機でしたこともあったが、右加算機は二台しかなく、これを納税課管理係の各税担当の職員(原告を含む一一名)が交代で使用しており、特にうち一台はそろばんの不得手な前記山根が午前中専用に使用していたこと、他方原告は前記のとおりそろばんが得意であったこと等から日常的にはそろばんを使用していたものであり、原告がやむなく加算機を集中して使用したのは、昭和四五年一月末から同年二月の仮決算のときであり、このときは約四二〇〇件を一〇日余の期間で処理した。

(7) なお原告は、以上の業務のほか納税証明書の発行、電話照会に対する回答、文書発送その他窓口業務も担当しており、納税課管理係に在職中特に納期限(個人事業税については前述、自動車税については毎年五月末、一〇月末)の前後等には他の職員とともに残業をすることもあった。

(三) 昭和四五年四月一八日から同年五月三一日まで(前同)

原告が指の痛みを訴え、後記(二2(二))認定のとおり、昭和四五年四月一七日大阪府立成人病院センターの種子島医師が、右は疲労による症状と考えられ、会計機操作に従事させない方がよい旨診断したため、同月からは会計機の使用はなされていない。なお他の原告の業務は、従前と同様である。

(四) 昭和四五年六月一日から同年八月三一日まで(南府税課税第一課法人事業税係)

原告は、昭和四五年六月一日から南府税課税第一課法人事業税係に配属されたが、右期間は、従前の経緯から業務軽減措置として法人設立申告書、法人異動事項申告書の処理等の諸届の処理に従事するなど原告の業務負担を軽減する手当がなされた。

(五) 昭和四五年九月一日から昭和四八年二月八日まで(前同)

(1) 原告は、右期間南府税所轄の法人のうちナ行、ハ行の法人(当時の法人数は明らかではないが、昭和四九年三月末においては一三七八であり、なお右時点における南府税課税第一課法人事業税係の法人担当職員一人当たりの平均担当法人数は一三九四であった)について、別表3ないし6「作業の種類」「態様(作業細目)」「期間」「件数」欄記載の業務をした。その業務のうちボールペンを使って二部複写をする作業は、右欄記載のとおり予定申告書への所要事項の記入、課税資料連絡表、更正、決定決議書、分割法人の関係都道府県に対する課税標準額の通知書の各作成等である。また転記作業は、新設法人からの設立申告書による法人台帳の作成、確定申告書、予定申告書による税額等の法人台帳への登載、異動事項申告書による異動事項の法人台帳への登載、所轄税務署に出張しての税額等の調査表への転記等であり、原告は右転記作業を、上肢への負担を考慮して、つけペン、サインペン、鉛筆でした。ナンバーリング作業は更正・決定決議により税額の変更が生じた法人への通知書の文書番号のナンバーリング作業である。右三種の作業のほかは受付事務、電話の応答取次事務、文書の整理事務等である。

(2) なお南府税課税第一課法人事業税係の担当職員一人当たりの法人府民税、法人事業税の平均年間処理件数は昭和四五年度一三六八件、昭和四六年度は一四〇九件、昭和四七年度は一四八三件であるが、毎年三月、九月、一二月が法人の決算期であることから、毎年六月、一二月、三月(ただし受理するのはその前月が多い)は処理件数が増加する傾向にある。もっとも原告のみが処理件数が多く、多忙であったというわけではない(前記のとおり時期は異にするが昭和四九年三月末におけるナ行、ハ行の法人数は一三七八であり、右時点における南府税課税第一課法人事業税係の法人担当職員一人当たりの平均担当法人数は一三九四であった)。また法人府民税、法人事業税の年間調定処理件数(前記の「年間処理件数」とは定義が一致しないので数値は異なる)が南府税(昭和四五年度においては、法人府民税一万一一一七件、法人事業税八九九二件)とほぼ一致している大阪府福島府税事務所(同一万一二〇四件、九五三三件)、天王寺府税事務所(同一万一〇九四件、八九八四件)、淀川府税事務所(同一万一一四三件、九〇六三件)、城東府税事務所(同一万一三九四件、九〇九〇件)の法人事業税係の担当職員一人当たりの法人府民税、法人事業税の平均年間調定処理件数について比較すると、昭和四五年度においては、南府税(職員数七人)が二八七三件(小数点未満四捨五入。以下同じ)であるのに対し、大阪府福島府税事務所(同六人)は三四五六件、天王寺府税事務所(同五人)は四〇一六件、淀川府税事務所(同五人)は四〇四一件、城東府税事務所(同六人)は三四一四件であり、南府税の職員一人当たりの処理件数は他の府税事務所のそれよりも少なく、また、昭和四六年度、昭和四七年度においても、天王寺府税事務所、淀川府税事務所、城東府税事務所においては右年度に職員の増加がなされたにもかかわらず、南府税の職員一人当たりの処理件数は前記の他の府税事務所のそれよりも少なかった。

(3) そしてこのような法人事業税係の職務は、その処理件数はもとより、料理飲食税等他の府税の担当と異なり、その対象となる納税担当者との応対に気を使う必要が少ないこと等から各府税事務所の職員の希望する職務の一つであった。

(4) 原告の南府税課税第一課法人事業税係在職中の昭和四六年一月から昭和四八年一月までの休暇の取得状況は別表8のとおりである。なお原告は、南府税課税第一課法人事業税係においては、それまでの職場と異なり生理休暇を適法に取得するよう努めたものである。

(六) 昭和四八年二月九日から同年三月三一日まで(前同)

原告は、昭和四八年二月九日に上二病院において後記(二3(一))の診断を受けたことから、右期間休業した。

(七) 昭和四八年四月一日から昭和五二年六月二四日まで(前同)

原告は、右期間業務軽減措置として南府税課税第一課法人事業税係(昭和四九年四月一日に課税第一課事業税係に組織変更された)の窓口業務を担当することとなった。

(八) 以上の事実によれば、まず原告の総務課調査広報係における作業は、ペン、ボールペンの使用はあったが、一般的な事務であり、その業務量も通常の程度を超えるものではなかったものであると解される。

また納税課管理係においては、原告は、右職場の諸税グループの一員として主として個人府民税、個人事業税を担当し、他に自動車税の事務等を、手伝うこともあったもので、その具体的な作業の種類は、別表1、2「作業の種類」欄記載のとおりであったところ、その内容として動的筋労作である会計機の使用があるが、原告の会計機処理件数及び会計機使用時間は右職場の担当者の中では決して多くはなく、また会計機の使用に当たっては、毎回四五分間を単位として使用を一旦中止するよう指導がなされており、右指導はおおむね守られていたというものであり、したがって原告は右業務を主としていたものではなく、しかもその期間は六箇月に過ぎず、また他の作業は加算機(前記のとおり仮決算時期を除いては、他の職員の使用の都合もあり日常的には使用しなかった)、そろばんの使用、押印処理、徴収簿等のキャビネットからの出し入れその他であり、これらもまた一般的な事務であると解される。もっとも個人事業税等の納期、仮決算期の前後等には多忙となり他の職員とともに残業をすることもあったことは認められるが、それも一時的なものであったものと解される。

最後に、課税第一課法人事業税係については、原告は、右職場において別表3ないし6「作業の種類」「態様(作業細目)」「期間」「件数」欄記載の業務をし、ボールペンを使って二部複写をする作業、つけペン、サインペン、鉛筆による転記作業、ナンバーリング作業、これらに伴っての台帳等のキャビネットからの出し入れのほか、受付事務、電話の応答取次事務、文書の整理事務等をしたがこれらは一般的な事務で、特定業務ではないのみならず、その処理件数も、法人の決算時期等に応じての若干の月別変動はあるものの、南府税又は他の府税事務所の担当者と比較して決して多くはなく、そしてこのような法人事業税係の職務は、その処理件数はもとより、他の府税の担当者と比較してその対象となる納税担当者との精神的葛藤も少ないこと等から各府税事務所の職員の希望する職務の一つであったというものであり、また原告は在職中、休暇も十分に取得しているものである。

そしてまた、原告が手指等に異状を訴えた際には、適宜の業務軽減措置を採る等適切な対応がなされており、したがって以上によれば原告の南府税における業務は、他の職員と比較して何ら過重でなかったものと解される。

二本件疾病までの受診経過

請求原因3(三)及び4の事実(南府税勤務中の受診状況)のうち、原告の受診等した日、受診機関、診断内容が原告主張に係るとおりであることは、当事者間に争いがない。

そして右事実並びに<証拠>を総合すると左の事実が認められ(る)。<証拠判断略>

1  原告は、昭和三九年四月に大阪府に採用されて以来昭和四四年五月二七日までの布施府税、寝屋川事務所(大阪自動車税事務所)における勤務中は、若干の一時的な疲労はともかく、本件疾病につき診察、治療を要する状態には全く至っていなかった。

2(一)  原告は、昭和四四年一〇月七日から昭和四五年五月三一日までの間、南府税納税課管理係に配属されたが、同年二月一六日に記入した健康調査表に、肩こり、腕がだるい、背中が痛むなどの症状が一日中ある旨を記載して南府税に提出した。なお右調査は当時の原告のような会計機使用者を対象としたものであるが、右調査表には一箇月間の会計機使用時間数等も記載することになっており、原告は右欄に別表7の昭和四四年一一月分の数値にほぼ一致する数値を記載した。

(二)  そして原告は、昭和四五年三月二日に視力、握力等の検査を受診した上、同年四月一七日大阪府立成人病センターで大阪府職員管理者の種子島医師の健康診断を受け、同医師は、「検査の結果客観的な所見認めず、疲労による症状と考えられる(休養の上再訓練をするか配転するか適当に)」として大阪府知事に対し、「(会計機操作に)従事させない方がよい」旨を回答し、これに基づき原告は、前記認定のとおり、以後会計機操作をしないよう職務上の手当がなされた。

(三)  ところで南府税納税課管理係においては、当時、後記のとおり、小林英子らがその業務に基づいて頸肩腕症候群に罹患したのではないかが問題となっており、原告の所属する労働組合の婦人部等で右問題が活発に議論されていた。

原告は、前記のとおり、会計機の使用をしなくなってもなお手指等に異状を感じたことから、昭和四五年五月に上二病院に行き、貴島医師の診察を受けた。貴島医師は、特に原告からの頸肩腕症候群の罹患を疑っている旨の発言があったことから、右も考慮の上で診察したが、筋肉疲労であり、頸肩腕症候群には罹患していないものと明確に診断し、その旨を原告に伝えた。

そして原告は、その後数箇月間上二病院に通院し、これにより手指等の痛みが軽快するようになり、貴島医師が治療終了を述べたことから、通院を終了した。

3(一)  原告は、昭和四五年六月一日から昭和五二年六月二四日までの間、南府税課税第一課法人事業税係に配属された。そして昭和四八年二月九日に上二病院において、貴島医師から「頸腕症候、腰痛症」「向こう一箇月間の休業を要する」との診断を受け、また同年三月八日に同病院において、同医師から「頸腕症候」「来る三月末日まで、休業を要し、以後軽作業のもとに半日勤務できる見込みである」との診断を受けたことから、前記のとおり同年二月九日から同年三月三一日まで休業して同病院に通院し、また南府税課税第一課法人事業税係においては、業務軽減措置として原告に窓口業務を担当させることとなった。

(二)  原告は、昭和四八年四月二三日に安里成人病診療所において安里医師の診察を受け、「右側頸腕部症候群症、心障害」(右心障害は同医師の独自の診断であり、一般にいう心不全に当たるとされる)「向後三箇月間、労働時間の短縮と右側腕に過度の負担のかからない作業をする必要がある」と診断され、昭和五〇年二月二七日に「右側頸肩腕症候群症」「右側正中神経支配領域の脱力感と間歇的の疼痛を訴え、第一指と第二指の運動障害がある」と診断され、更に同年三月七日に「右側頸肩腕症候群症」「原因が右側正中神経の障害によるものであり、外傷が認められないので、右上肢の作業による過度の疲労によって起こったものと判断される」と診断された。

原告は、昭和四八年四月二三日以降は、右安里医師の治療を受けるようになったものであるが、同医師は、昭和五二年四月一日に被告担当者の電話照会に対し、原告については、頸腕部症候群としての局部的な治療(ホットパック等)は一切行わず、専ら心障害の治療をしたこと、右治療により症状の軽快が計られたが、昭和五〇年五月一七日に更に膵障害が確認されたことからその治療も実施し、これにより原告はほとんど症状を訴えなくなったがなお月に二回程度通院していること等を回答した。

(三)  原告は、昭和五二年六月二八日に松浦診療所において松浦医師の診察を受け、「頸肩腕障害、筋・筋膜性腰痛症」と診断された。

そして原告は、同日以後専ら松浦診療所において、理学療法、鍼灸治療、運動療法による治療を受け、これにより昭和六一年六月一六日(第一八回口頭弁論期日)においては、治療効果が上がり治癒に近い状態となったがなお半年又は一年以上の治療を要すると松浦医師は判断している。

そして右の事実(特に上二病院の貴島医師は昭和四五年五月当時頸肩腕症候群の罹患を明確に否定し、昭和四八年二月になって頸腕症候、腰痛症と診断している)によれば原告の本件疾病の発症時期は、南府税納税課管理係在勤中ではなく、南府税課税第一課法人事業税係在勤中であるものと解される(なお本件疾病の推移に照らすと原告の受診した医療機関のうち特に安里成人病診療所における診断、治療には疑問の余地もある)。また右のとおり原告に異状が生じたとき、そして特に右異状が医師に確認されたときは、被告により原告の負担を軽くするための適切な措置が直ちに採られていることも明らかである。

三原告の同僚の類似の疾病について

<証拠>を総合すると、左の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

1  小倉正明は、昭和四四年九月一日から昭和四五年五月三一日までの間、南府税納税課管理係に配属され、昭和四四年一〇月七日ころから原告と同様に諸税グループを担当していたところ、手や腕に痛みを感じるようになり、昭和四五年四月、五月に上二病院、大阪市大病院において、頸肩腕症候群であり、二ないし三週間の休業及び当分の間の通院加療が必要との診断を受けた。もっとも小倉は、諸税グループにおいては原告のように個人事業税を中心として担当していたものではなく、自動車税、自動車取得税を中心として担当していたものであり、また会計機の使用時間も、原告よりはるかに多く、昭和四四年一〇月から昭和四五年二月までの間、原告の、時間数では平均1.36倍、件数では平均2.8倍も会計機を使用していた。そして小倉も被告に対し、右頸肩腕症候群は公務上災害であるとしてその認定を求めたが、公務外の災害であると認定され、右認定処分に対し不服申立てをしなかった。

2  村山ナツエは、昭和四四年七月ころから同年一〇月六日までの間、原告の前任者として前記諸税グループのうちの個人事業税、個人府民税を中心として担当していたところ、手や腕に痛みを感じるようになり、上二病院で腱鞘炎の診断を受け、同月七日に他の職場に配転された。しかし村山は、同年七月ころ以前は後記山根の前任者として、毎日長時間、加算機の使用をしており、また手や腕の痛みについても、右のとおり医師の診察を受けたが、以後の通院等はしておらず、公務上災害の認定請求もしていない。

3  小林智子(旧姓菅村)も、昭和四四年一〇月六日まで前記諸税グループに所属しており、右勤務中に頸肩腕症候群となった。小林の場合も、諸税グループにおいては前記小倉の前任者として自動車税、自動車取得税を中心として担当していたものであり、したがって小倉同様、原告よりはるかに長時間会計機を使用していたものと推認される。なお小林は、公務上災害の認定請求をし、公務外災害と認定されたことから右処分につき審査請求、再審査請求の申立てはしたが、いずれも棄却され行政訴訟は提起しなかった。

4  山根英子は、昭和四四年七月二一日から昭和五〇年五月一四日までの間、南府税納税課管理係に配属され、同月一五日に中河内府税事務所に転勤したが、その後まもなく腱鞘炎の症状が出た。ところで山根は、南府税において昭和四四年七月から昭和四九年七月ころまで、歳入担当として、会計機は使用しなかったものの、毎日午前中、ときには終日にわたり長時間、加算機の使用をしていた。そして前記の昭和四五年四月の大阪府立成人病センターにおける会計機使用者に対する健康診断を原告と共に受診し、その際医師から、「(会計機操作に)従事させない方がよい」旨診断されたが、なお従前どおり毎日長時間、加算機の使用をしていたものである。

そして本件全証拠によっても、右以外に、原告の勤務してきた前記布施府税以降南府税までの同僚が原告と同様の頸肩腕症候群又は腰痛症に罹患したとの事実は認めるに足りない。

もっとも<証拠>によると、原告の所属する労働組合の婦人部において、南府税の昭和三九年から昭和四四年までの在勤者につき頸肩腕症候群の罹患状況につきアンケート調査をしたところ一四名が罹患した旨の報告をしたことが認められる。しかしながら右調査は、匿名でなされたのみならず組合員の一方的な報告であって何ら医学的な裏付けを伴っていないものであり、単なる一時的な筋肉疲労との区別もなされてはおらず、右調査結果を直ちには採用できないものである。

また証人松浦良和は、大阪自動車税事務所及び南府税につき、原告からその職場環境等を聞いたのみならず、現実にその職場を見学し、原告以外の組合員からも意見を聞いたところ、頸肩腕障害に罹患している又はそのおそれの高い者が現に何割かいるように思われる旨を証言している。しかしながら右証言は、証人も自認するとおり、医師としての正確な診察をした上での供述ではなく、関係者の述べるところを聞き、各職場を各一回程度見学した上での単なる印象、感想に過ぎず、同様に採用できないものといわなければならない。

第三本件疾病の業務起因性について

一原告は、原告の頸肩腕障害は、キーパンチャー通知によっても原告の業務との業務起因性が認められると主張し、被告は、キーパンチャー通知及び腰痛通知によれば本件疾病は原告の業務との間に業務起因性を有しない旨主張する。そこでまずこの点につき判断する。

1  <証拠>によると、労働省労働基準局長が、特定の業務の従事者に業務に起因して頸肩腕症候群の発症する場合のあることにかんがみ、労働者の迅速適正な保護を目的とする労災保険における業務上外の認定基準として昭和四四年一〇月二九日に「キーパンチャー等手指作業に基づく疾病の業務上外の認定基準について」と題する通達(昭和四四年基発第七二三号)を発し、更にその後、右通達を再検討して昭和五〇年二月五日付けをもって「キーパンチャー等上肢作業にもとづく疾病の業務上外の認定基準について」と題する通達(昭和五〇年基発第五九号)を発して右認定基準の改定を行ったこと、また腰痛症については昭和三四年四月に「腰部捻挫に伴う疾病の業務上外の認定について」と題する通達(昭和三四年基発第四一五四号の二)が発せられ、右通達は昭和四三年二月二一日付けの通達(昭和四三年基発第七三号)による改定を経て、昭和五一年一〇月一六日付けの「業務上腰痛の認定基準等について」と題する通達(昭和五一年基発第七五〇号)により改定されていること、これらの通達は、その定義、原因、機序等が十分には解明されていない頸肩腕症候群、腰痛症につき、行政による労災保険での業務上外の認定基準として発せられたものであり、またキーパンチャー通知及び腰痛通知は地方公務員の公務上の災害につき同旨の目的の認定基準(内容的にもほぼ共通している)として発せられたものであることが認められる。そしてこれによれば、キーパンチャー通知及び腰痛通知は、本件疾病が公務上の災害であるか否かの判断につき、当然に裁判所を拘束するものではないが、一つの有力な基準となるものと解される。

2  そこで本件疾病のうちまず頸肩腕症候群についてであるが、キーパンチャー通知の内容が原告主張に係るとおりであることは当事者間に争いがないところ、キーパンチャー通知によれば頸肩腕症候群が公務上の災害と扱われるためには、第一に、その職員が特定業務(前記のとおり、「上肢の動的筋労作又は静的筋労作を主とする業務」)に発症まで六箇月以上継続して従事したことを要するものとされる。この点、前記認定の原告の業務内容によれば、本件疾病発症時である昭和四八年二月九日までの原告の業務については、上肢の動的筋労作としては、布施府税及び南府税納税課管理係における会計機操作が検討の対象となる。しかし布施府税については、当時原告に頸肩腕症候群の発症は全く認められなかったものであり、したがって検討の対象外である。他方南府税納税課管理係についてはその会計機操作期間もほぼ六箇月であり、一応右要件を満たすかのようであるが、原告の業務内容は一般混合事務であり、しかも右特定業務を主たる業務としていたと認めることができないから、結局右要件を充足する事実を欠くことになる。なお仮に第一の要件につき、一般事務である原告主張のボールペン等の複写作業も右要件を満たすものと解しても、前記認定の原告の業務内容、業務量によれば、第二の要件(「その業務量が同種の他の職員と比較して過重である場合又はその業務量に大きな波があること」)を充足する事実を認めるに足りないといわざるを得ない。したがってキーパンチャー通知を基準とする限りは、原告の頸肩腕症候群が原告の業務に起因するものと認めることはできないものである。

3  次に腰痛症については、腰痛通知によると原告主張の腰痛症は災害性の原因によらない腰痛とされるところ、そのような腰痛が公務上の災害として取り扱われるには、腰部にとって極めて不自然若しくは極めて非生理的な姿勢で毎日数時間程度行う業務又は腰部の伸展を行うことのできない同一作業姿勢を長期間にわたり持続して行う業務等腰部に過度の負担のかかる業務に、比較的短期間(おおむね三箇月から数年以内をいう)従事する職員に発症した腰痛であること、当該職員の業務内容、作業態様、作業従事期間及び身体的条件からみて当該業務に起因して発症したものと認められること、医学上療養を必要とすること等の要件に該当することを要するとされている。

ところで原告は、キャビネットからの徴収簿の出し入れ業務その他の原告の業務がその腰痛の発症原因であると主張する。しかし右キャビネットからの徴収簿の出し入れ業務が腰痛通知所定の腰部に過度の負担のかかる業務であるとは到底いえないのみならず、前記認定の原告の業務内容によれば、本件疾病発症時である昭和四八年二月九日までの原告の業務のいずれをとっても腰部に過度の負担のかかる業務は存しないものといわねばならない。したがって腰痛通知を基準とする限りは、原告の腰痛症が原告の業務に起因するものと認めることはできないものである。

二そこで次にキーパンチャー通知及び腰痛通知によらないで、原告の本件疾病と業務との間に相当因果関係が認められるか否かにつき判断する。

1 前記認定の原告の業務内容によれば、原告が大阪府に採用された昭和三九年四月から本件疾病発症時である昭和四八年二月九日までの原告の業務は、いずれも同僚の又は他の府税事務所等の同種の職員のそれと比較して過重ではなく、また仮に過重であったとしても本件疾病発症時から遠く隔たっているものである。

2  すなわち、

(一) 布施府税

前記のとおり、原告の右職場における業務については、会計機の操作を主とするものであったが、その業務量は、布施府税又は他の府税事務所の他の会計機担当者のそれと比較して過重でなく、また、原告のその余の業務は、通常の一般事務であった。そして右職場の同僚が原告同様に本件疾病に罹患したとの事実は認めるに足りないものであるのみならず、原告自身も若干の一時的な疲労はともかく、本件疾病につき診察、治療を要する状態には全く至ってはおらず、本件疾病の発症とは時間的に隔たっているものである。

(二) 寝屋川事務所(大阪自動車税事務所)

前記のとおり、原告の右職場における業務については、その当時の業務量は、廨の指定以前は多いものではなく、また廨の指定についても原告につき業務担当から庶務担当への異動があり、原告自身については業務量の増加を招くものではなく、更に、自動車取得税の新設による大阪自動車税事務所全体の業務量の増加に際しても、これに伴い原告の事務について人員の手当がなされており、したがって大阪自動車税事務所又は他の府税事務所(及び地方事務所)の他の職員と比較して過重でなく、またその内容も通常の一般的な事務であったものと解されるものである。そして右職場の同僚が原告同様に本件疾病に罹患したとの事実は認めるに足りないものであるのみならず、原告自身も若干の一時的な疲労はともかく、本件疾病につき診察、治療を要する状態には全く至っていなかったものである。

(三) 南府税

(1) 総務課調査広報係

前記のとおり、原告の右職場における作業は、ペン、ボールペンの使用はあったが、一般的な事務であり、その業務量も通常の程度を超えるものではなかったものである。

(2) 納税課管理係

原告は前記のとおり、右職場の諸税グループの一員として主として個人府民税、個人事業税を担当し、他に自動車税の事務等を、手伝うこともあったもので、その内容として会計機の使用があるが、原告の会計機処理件数及び会計機使用時間は右職場の担当者の中では決して多くはなく、また会計機の使用に当たっては、一回当たりの時間制限があり、他の作業は加算機(前記のとおり仮決算時期を除いては、他の職員の使用の都合もあり日常的には使用しなかった)、そろばんの使用、押印処理、徴収簿等のキャビネットからの出し入れその他であり、これらもまた一般的な事務であると解される。もっとも個人事業税等の納期、仮決算期の前後等には多忙となり他の職員とともに残業をすることもあったことは認められるが、それも一時的なものであったものと解される。なお原告は右職場で手指の異状を訴えたが、直ちに会計機の担当を外し、後記の課税第一課法人事業税係において業務軽減措置を採るという適切な対応が採られたこともあり、まもなく軽快しており、右は一時的な筋疲労であったものと解される。ところで右職場の同僚が原告同様に手指等に異状が生じたとの事実は、これを認めることができ(もっとも、それが公務に起因するか否かは明らかではない)、したがって右職場における原告の業務は、前記会計機使用の事実もあり本件疾病の原因となるような過重な業務であったのではないか疑う余地もあるが、右同僚と原告とは会計機、加算機の使用状況等につき著しい差異が認められ、したがってそれらの者の存在を本件で原告に有利に解するのは相当ではない。なお腰痛症についての類似例は認められない。

(3) 課税第一課法人事業税係

原告は右職場において当初業務軽減措置を採られていたが、右措置が解除されてから本件疾病に罹患しており、したがって右措置が解除された昭和四五年九月一日から本件疾病が発症した昭和四八年二月九日(上二病院の「頸腕症候、腰痛症」との診断日)までの右職場での業務内容が重要である。しかしながら右業務内容は、前記のとおりボールペンを使って二部複写をする作業、上肢の負担を軽くするためのつけペン、サインペン、鉛筆による転記作業、ナンバーリング作業、これらに伴っての台帳等のキャビネットからの出し入れのほか、受付事務、電話の応答取次事務、文書の整理事務等をしたがこれらは一般的な事務であり、またその処理件数も、法人の決算時期等に応じての若干の月別変動はあるものの、南府税又は他の府税事務所の担当者と比較して過重でなく、そしてこのような法人事業税係の職務は、その処理件数はもとより、他の府税の担当と比較してその対象となる納税担当者との精神的葛藤も少ないこと等から各府税事務所の職員の希望する職務の一つであったというものであり、また原告は在職中、休暇も十分に取得しているものである。そして右職場の同僚が原告同様に本件疾病に罹患したとの事実は認めるに足りないものである。

3 そしてまた原告の本件疾病の発症時期、受診、治療状況も、原告の本件疾病と原告の業務との関連性に疑念を抱かせる余地がある。

すなわち本件疾病の発症時期は、昭和四八年二月九日であるが、以後原告は同年三月三一日まで休業し、更に窓口業務を担当するなど業務軽減措置を受けた。そして原告は、原告自らの判断、選択により上二病院、安里成人病診療所、松浦診療所において医師による診察、治療を受けた。しかしながら今日に至るまで、治癒に近い状態となったとはされるもののなお治療を要するものとされている。

このような原告の本件疾病の発症時期、受診、治療状況は、原告の本件疾病が原告の業務以外の事情に起因するものではないかとの疑念をさしはさむ余地がある(なおキーパンチャー通知においても、「(個々の症例に応じた適切な療養を行い)三月を経過してもなお順調に症状が軽快しない場合には、(頸肩腕症候群以外の)他の疾病の存在を疑う必要がある」としている)。

4(一)  最後に以上を総合して原告の担当してきた業務と本件疾病との因果関係につき判断する。一般的に、原告の本件疾病を公務上の災害と認定するためには原告の担当してきた業務がその発症の単なる原因であるのみでは足りず相対的に有力な原因であることを要するものと解される。

(二)  ところで本件疾病のうちまず頸肩腕症候群については、「上肢に過度に負担のかかる業務」に従事することにより頸肩腕症候群が発症するものと考えられ、逆に「上肢に過度に負担のかからない業務中」に頸肩腕症候群に罹患した場合は、業務以外の負担、素因等があったものではないかと推定され、したがって起因性は否定されることになる。

本件の場合、原告の会計機操作等は「上肢に過度に負担のかかる業務」であり、原告がこれに従事していたことを認めることができる。しかし原告は右業務のみに従事していたものではなく、一般事務にも従事していた(混合事務)ものであり、その内容からみて、「上肢に過度に負担のかかる業務」が主たる業務であるとすることはできないし、過重なものであったと認めることもできない(なお布施府税時代の業務は本件疾病の発症から相当以前であり、本件疾病の発症との間に因果関係を認めることができない)。

本件では、原告が南府税納税課管理係勤務中手指等に異状を感じ、昭和四五年五月に上二病院に行き、貴島医師の診察を受け、筋肉疲労であり、頸肩腕症候群には罹患していないものと明確に診断されてから、南府税課税第一課法人事業税係勤務中の昭和四八年二月九日に上二病院において、同じく貴島医師から「頸肩腕症候、腰痛症」「向こう一箇月間の休業を要する」と診断を受けるまでの原告の業務内容が特に重要な検討対象となる(もちろん右筋肉疲労の原因たる業務も含めて判断されることは当然である)が、その間の業務は、特に重労働が加重されたものではない通常の業務であり、その通常の業務の内容は、激しい又は厳しいものとは認められない(通常の業務自体が厳しいときは、他の発症者の有無を比較することは意味がなく、他に発症者がいないときでも起因性を認め得る。しかし通常の業務自体は外観上激務でないときは、他に発症した同僚の存することが起因性を認める有力な資料となる)。なるほど南府税納税課管理係の原告より過重な業務に従事していた同僚の一部が頸肩腕症候群に罹患したことを認めることができるが、これらの者についてもその頸肩腕症候群と業務との関連性は明らかになってはいない。また南府税等の同僚の数人が肩、腕等に痛みを訴えていることも認めることができるが、そうであるからといって直ちに同人らが頸肩腕症候群に罹患していると速断することも失当である。事務を執る職務に従事するとき、肩、腕の痛みを覚えることがあり、その場合には職務との一応の因果関係を認めることができるが、それ相当の業務の厳しさがありそれにより前記の痛みが病的になったときに初めて地方公務員災害補償法における疾病の公務による起因性を肯定することができるものである(相当因果関係)。したがって右のような同僚の訴えをもって、原告の従事した業務が過重であったと認めることは到底できないものである。

(三)  そして本件疾病のうち腰痛症についても前記認定の各事実によれば、原告の業務との間に起因性を有しないことは明らかである。

(四) もっとも証人松浦良和は、原告の本件疾病は、原告の従事してきた業務により発症した旨証言し、同旨の意見書(<証拠>)を作成している。しかしながら、同人が初めて原告を診察したのは原告が業務軽減措置を受けるようになった昭和四八年四月一日から四年余を経過した昭和五二年六月二八日であり、右時点でもなお本件疾病が存することは、原告の業務との起因性を疑うことにつながるのみならず、前記の証言等は、特に原告の業務内容、疲労の程度等につき原告の供述のみを基礎にするものであり(なお同人の職場見学等の結果については前記(第二の三)したところにより採用できない)、その判断は本件においてそのまま採用することはできないものといわざるを得ない。

(五) 本件疾病については、その原因、機序等が十分解明されていないものであるが、以上の、原告の従事した各業務の作業態様、作業量(作業量については若干の時期的変動があったことは認められるが、具体的な数値としては前記認定以上には明らかでない)、従事期間等を考慮すると、原告の従事した各業務がその発症の一因であることを全く否定することはできないが、前記の同僚の職務内容、健康状態等も併せ考慮するならば、本件疾病の発症については、原告の素因、資質(原告主張の基礎疾病の概念と類似するが、それのみにとどまるものではない)に負うところが大きいと解される。したがって原告の本件疾病につき、原告の担当してきた業務がその発症、増悪につき相対的に有力な原因であると解するには足りず、原告の本件疾病は公務外の災害である旨認定した本件処分は正当なものといわねばならない(業務と個体の素因等が共働して疾病が発症した場合であっても、業務が有力な原因と認められるときは起因性を認めることができるが、本件はこれに当たらない)。

第四以上の次第で、原告の本訴請求は理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行訴法七条、民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官中田耕三 裁判官北澤章功 裁判官下野恭裕は、転官につき署名押印することができない。裁判長裁判官中田耕三)

別紙

別表1

作業の種類

態  様 (作業細目)

期 間

件 数

要する

時間

身体への影響

収入

消し込み

押印

処理

① そろばんを入れる(済通知を日付ごとに)

② 済通知を番号順に並べる

③ 徴収簿(カード)をキャビネットからぬき出す

④ カードに完納印と日付を押印する

⑤ カードと済通知の点検・照合し、確認印押印する

⑥ カードの税額を加算機で集計する

⑦ カードをキャビネットにもどす

file_3.jpg11/15~12/10

〔集中時期

11/28~12/5〕

約4800件

右腕がだるくなる

首、肩がこる

背中がはる

眼が疲れる

足が重くなる

腰がだるくなる

全身がつかれる

手の甲がいたくなる

会計機

処理

上記①~③まで同じ

②の時、押印処理分と会計機処理分をわける

④ 会計機でカードに収入消し込みをする

⑤ 白紙のカードで集計する

⑥ カードと済通知の点検・照合し確認印押印する

⑦ カードをキャビネットにもどす

⑧ 上記押印処理分と現年課税の会計機処理分を日付ごとに合計し、日計簿に集計をとる

69/10月(5日)

11月(10日)

12月(6日)

70/1月(4日)

2月(6日)

458

1036

1216

836

902

420分

655

630

485

540

督促状

発行

file_4.jpg① カードと督促状(印刷してある)を照合し未納分督促状をぬき出す

② 加算機で税額を集計する

③ 発行枚数をかぞえる

11/13~11/15

(3日間)

3200

腕がだるくなる

首、肩がこる

file_5.jpg12/13~12/15

(3日間)

2400

file_6.jpgfile_7.jpgカードをみながら住所、氏名(会社名)、税額、業種、納税義務者番号等必要事項をボールペンないしペンで記入する

毎月10日すぎ

毎月

約100件

(1人あたり)

手の甲がいたくなる

整理票

発行

file_8.jpg① カードと整理票(印刷してある)を照合し未納分の整理票をぬき出す②、③は上記督促状発行と同じ

11/28~30

3000

腕がだるくなる

首、肩がこる

file_9.jpg12/23~25

2200

file_10.jpgfile_11.jpg上記督促状発行と同じ

毎月末ごろ

毎月

約100件

手の甲がいたくなる

連絡票

発行

file_12.jpgfile_13.jpg納税係員が領収書をきったもの以外の済通知について納付されてきた都度納税義務者番号、自動車番号、住所、氏名、税額等必要事項を記入し発行番号をとって納税係に発行する

随  時

別紙

別表2

仮決算

file_14.jpg① カードを点検し、収入未済額があるカードを抜き出す

② 加算機で収入未済額を集計する

③ 一度であわず、何度か打ち直したりカードと加算機でプリントした数字を読みあわせたりカードと調定決議明細書や済通知との照合をしなければならない

1/28~2/10

現年度

3500

滞納繰越

700

手の甲がいたくなる

腕がだるくなる

首、肩がこる

背中がはる

眼がつかれる

全身つかれる

納税証明発行

file_15.jpg① 納税証明書(2部複写)は、あらかじめ数冊(1冊100件)に公印を押印し、ナンバーリングで一連番号を打っておく

② 発行の際、当該のカードをぬき出し納税状況を調査確認の上で、住所、氏名、登録番号をボールペンで記入し契印をして発行する

③ 発行済の証明書控は、まとめて担当者印を押し、決裁にまわす

毎 日

毎日

20~100

file_16.jpg① 当該のカードをぬき出し、納税状況を調査、確認する

② 納税証明書(2部複写)に住所、氏名、税類を記入し公印を押印し、契印して発行する

随 時

0~10

電話照会

file_17.jpgfile_18.jpg照会のあった分のカードをぬき出し、調査確認の上回答する

毎 日

file_19.jpg20~80

file_20.jpg時々

文書発送

納税課内の毎日発送される文書について点検し、とりまとめて庶務係へ毎日3時までもつていく

毎 日

別紙

別表3

申告用紙の発送

確定

① 発送予定分の封筒の表書(住所・法人名)をする

② 各種添付書類の要否の印をつける

③ 3~7種類の添付書類と申告書を封筒にはいる大きさにおって、納付書と共に封入する

④ 返戻されてきたものは、台帳をぬき出し所在地、法人名を再調査し、誤りがあれば訂正し再発送する

⑤ 再調査の結果、記入の正しいものは台帳に申告書用紙の返戻があった旨記入し、返戻された封筒を添付する。そして所在調査を行う

毎月

2~3日

年間

約1300件

親指がいたくなる

肩がこる

腕がだるくなる

予定

① 申告書(原紙)に所在地、法人名、法人番号、前事業年度事業税額予定申告事業税額等をボールペンで記入する(2部複写)

② 窓あき封筒に申告書の所在地、法人名がみえるようにおり納付書と共に封入する

毎月

2~3日

同上

手が痛くだるくて続けて書くのがつらくなる

手に力がはいらなくなる

申告書

受理

精査検算

申告書の記載事項の記載の有無、添付書類の有無、税額等の計算、記載誤りがないか点検し、そろばん等で計算しなおす

随時

(集中時

毎月末、月初)

同上

(月末、月初の集中時)

肩がこる

腕がだるくなる

眼がつかれる

腰がだるくなる

台帳登載

① 台帳をキャビネットからぬき出し、所要事項(申告年月日、総所得金額、課税標準額、税額等)を記載する

② 申告書の該当欄に認印し、台帳をもとにもどす

同上

同上

課税資料

連絡表の作成

確定

① 提出された申告書を法人番号順に並べ、連絡表1枚25件(2部複写)、所要事項(法人番号、事業年度、処理コード、事業税課税標準額、事業税額、法人税割額、均等割額、差引納付税額)をボールペンで記載する

② 連絡表1枚ごと事業税額及び差引納付税額をそろばんで集計する

毎月末、月初

約1週間

年間

約1300件

集中月

約400件

手に力がはいらなくなり、

大変つらくなる

首、肩がこる

腕がだるくなる

眼がつかれる

腰がだるくなる

予定

同上

年間

約1300件

集中月

約200件

みなす申告

決議

決議書(2部複写)に所要事項(法人番号、法人名、所在地、代表者氏名、事業税額、府民税額等)を記載する

毎月

0~10件

“申告の督促について”

発行

① 申告期限が経過しても未提出の法人にハガキに所在地、法人名記載し発行する

② 返戻されたものは台帳にその旨記載しハガキをはりつける

毎月

2~10件

別紙

別表4

国税資料

収  集

税務署に出張し、前月分の確定申告及び更正決定分を“法人税の申告分所得金額調査表”(2部複写)“法人税所得金額調査表”に法人名、納税地、事業年度、申告年月日、所得金額、法人税額等を記載してくる

月1回

年間

1500件

小さな枠に小さな字で書きこまなければならないので手の甲と手首がいたくなる。

また下腕の内側がつっぱる肩がこる、首がだるい

別紙

別表5

更正・決定決議

①更正、決定決議書(2部複写)に所在地、法人名、代表者、法人番号、その他更正、決定の内容(課税標準額、税額等の計算をして)を記載する。

②更正、決定された内容及び更正、決定年月日を台帳に登載する。

③1ヵ月分をまとめて、担当者印を押印し、決裁にまわす。

④発送番号を正、副にナンバーリングでとり公印と契印を押し、窓あき封筒に納付書と共に封入し、発送する。

随時決議

下旬に決裁をとり発送

毎月

50~100件

ナンバーリングをうつと手がだるくなって続けるのがつらかった。

申告是認決議

①税務署で収集してきた法人税の申告分所得金額等調査表と、前月分の法人事業税、府民税申告書と照合し、大阪府への申告と誤まりがなければ是認決議を行う。

②申告書に申告是認、担当者印を押印し、国税資料番号、前期処理事績を記載し、是認印と是認年月日を台帳に押印し申告書は一括決裁にまわす。

毎月

2~8日

年間

約1800件

分割通知作成

①分割法人については更正、決定及び申告是認の際、課税標準額等の通知書(2部複写)に法人名、主たる所在地、事業年度、資本金、分割基準、関係都道府県の事業所所在地等を記載する。

②発送番号をとり、本庁に送付する(1ヶ月分まとめて)

随時

法人設立申告書の処理

①法人番号をとり、台帳に法人番号、所在地、法人名、代表者住所、氏名、決算期、業種、設立登記年月日、資本金、各種コード(5種類)台帳作成年月日等を記載する。

②法人連絡表に、法人番号、事業年度、業種コード等その他必要事項を記入する。

③処理した申告書は係員全員の1ヶ月分をまとめて提出日順に並べ目次を書き決裁にまわす。

毎月

3~5日

法人異動事項申告書の処理

①異動内容と年月日を台帳に記入し、法人連絡表に法人番号、異動事由コードを記入する。

②転出の場合は転出通報(2部複写)に法人名、新、旧所在地、転出年月日を記載し、台帳は所在地を新所在地に訂正、法人番号を抹消、異動状況欄の記載をし、未処理分申告書等を合わせて添付し、新事務所へ送付する。

③法人名簿の備考欄に転出先の新事務所と転出通報発送年月日を記入し、法人番号、法人名を=線で抹消する。

④処理した申告書は係員全員の1ヶ月分をまとめて提出日順に並べて目次を書き決裁にまわす。

法務局資料の処理

上記法人設立申告書及び法人異動事項申告書の処理内容と同じ

毎月

1~2日

別紙

別表6

法人登記事項調査

①法務局へ出張し、商業登記の台帳をみながら法人登記事項調査表(2部及び4部複写)に鉛筆で登記内容(設立届や異動届と同じ内容)を記載する。

年3回

各1~2日

肩、首がこる。腕がだるくなる。手の甲が痛くなる。

府県別の課税標準額調

資本金別に法人税割額をぬき出し、それぞれの合計を出す(地方交付金の算出基準になる)

年2回

2日~3日

文書収受発送

①課税課の収受文書を各係へ分類して手渡す。

②課税課の毎日発送する文書を点検しとりまとめて3時まで庶務係へもっていく。

毎日

申告書等のへんてつ

①是認申告書及び更正、決定決議書はそれぞれ1ヶ月分ごとに法人番号順にならべる。

②是認申告書、法人設立申告書、法人異動事項申告書はそれぞれ適当な厚さに分冊し、白表紙をつける。

③白表紙をつけた書類をそれぞれ穴をあけ、袋とじし背表紙に書類の種類等書き入れる。

毎月

1~2日

袋とじをする時右腕が痛くなる。

電話照会

照会事項について調査の上、回答する。

随時

特定商工業者の調査

商工会議所からの依頼のあった法人について、資本金等の変更事項の調査を行う。

年1回

2~3日

除却決議

3年以上申告のない法人台帳をぬき出し、所在調査を行い、所在不明の場合、除却決議にまわす。

年1回

3~4日

別紙別表7、8<省略>

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